人は幸せになるために生まれてくる

最近よく虐待の記事やニュースを見聞きします。

虐待は子どもの心の成長をさまたげる

内縁の夫から、実の父親から、そして実母などからの

身体的虐待(殴る蹴るなど)や性的虐待(性的な行為をする、見せるなど)

ネグレスト(食事を与えない、病気になっても病院に連れていかないなど)

心理的虐待(無視、兄弟間の差別扱い)などがあります。

虐待を受け大人になった子どもは、どうやって愛情を表現していいかわからなかったり、暴力でしか表現をすることしかできなくなることが多いと聞きます。自分の子どもに接しながら、過去の自分と向き合わなくてはいけなくなり子育てがきついものになることがあります。

 

育児そのものが虐待のフラッシュバッグとの闘いだ。自分にはクリスマスプレゼントのプレゼントはなかったのに、娘がプレゼントに文句を言うのが許せない。愛そうとすればするほど、過去の自分がよみがえる。

虐待をされていた子どもたちが、、「希望」へと向かう分かれ道は、「根っこが張れる場所が、あるかどうか」ある里親女性の言葉です。。信頼できる人間。安心できる場所。どこかに根っこを張れば、どんな子でも変わる。

 

中部経済新聞から引用

 

虐待された子どもは、自分の子どもにも連鎖する

人は自分が育てられたように、自分が受けた愛情の方法しか知らず、他の方法で相手に愛情を表現をすることが難しいものです。中には半面教師として親とは違う方法で子どもに接したり、また自分が親からして欲しかったことを子どもにしてあげたいという人もいます。

虐待を受けて大人になった子どもは日常の生活にも影響がでてきます。

たとえば、子どものころ大きな声で怒鳴られ続けられていたら、大きな声が恐怖になり会社の上司の大きな声が恐怖に感じます。

また、性的虐待をされていたら、男の人(女の人)が信じられなくなったり自分自身を大切にするということがわからなくなるかもしれません。

ネグレストの場合は、自分に対する価値が低く、自分自身を受け入れることが難しくなることが多いようです。

心理的虐待は周囲も本人も虐待だということに一番気付きにくいことかも知れませんが、気付きにくい分心の負担や傷は大きいものです。

虐待だけではなく、子供の頃に親子の関係が適切になされていないと、大人になってから色々な不都合さがでてきます。根っこを張れる場所、安心できる場所、信頼できる人間がいること、子どもだけでなく大人にとっても必要なものです。

日常生活で不都合さを感じている方、虐待を子どものとき受けていた人が、自分を責めていたり子どもへの愛情はあるけれど、自分の気持ちとは反対に子どもへ暴言をしてしまう。必要以上に躾のつもりできつく当たってしまうと悩んでいる方ご相談ください。

虐待や日常で生きにくさを感じている方たちの親が悪いわけでもなく、子どもが悪いわけではありません。

ちょっとしたコミュニケーションのずれや愛情の受け渡しがうまくできないだけの正直なぶきっちょさんだけなのかもしれません。

 

誕生日を知らない女の子  黒川祥子著 集英社

中部経済新聞に紹介されていた児童相談所に保護された子どもたちの「その後」を書いた本です。

興味があります。読もうと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投稿者プロフィール

cocoro
cocoro心理カウンセラー/ワンワンコミュニケーションカウンセラー
人間関係の悩みから開放するサポートをするカウンセラー。名古屋で個人カウンセリングを中心に活動。
OL時代、人間関係で悩み、過呼吸になり自分が苦しくなったことで、心理の勉強をし始めたことがカウンセラーの道へ進むきっかけとなったが、カウンセリングを実際に受けることで自分が変わり楽になったことから、同様に苦しんでいる人のサポートをするカウンセラーになる。
カウンセリングが、特別なものではなく、もっと日常生活に密着し、一人一人が自分に素直に生きていくことができるようにサポートをする活動にを展開中。